2010年5月14日 脾門部腫瘍+脾臓摘出術

色々検査を進め、前回とった近くにできたやつをとることが決定。
そして、今回は脾臓も。前回とるかもしれないと言われて温存されたもの。
まとめて一緒にとってたら、やつは現れてなかったのかなとふとよぎることがある。
だけど、もし…とか、…たらを考えだしたらきりがないし、そこにはしばられたくない。
あの時は一番最善と思われる方法を尽くしてもらったはず。
そして、脾臓にだって役割はある。なくても生きてけるけど、免疫機能や血球破壊など…。

夜勤明けで入院。手続きやらオリエンテーションなど受けて外泊。
翌日(手術前日)は下剤飲んだり、硬膜外チューブの挿入に手術の説明。
硬膜外チューブは手術室で入れるのが通常だけど、前回もそうだったけど、今回もペインクリニックの先生にお願いをして入れてもらうことに。だけど、見えないとこで針を刺されるのは恐怖感↑、で、やっぱり痛い…。
前回、術後の痛みが強かったので、痛み止めのメニューも指示してくれた。

主治医の先生は前回同様に外来主治医のS先生と4月に東京から戻ってきたM先生。知ってくれてるから心強い。

そして、2010年5月14日、やつ2回目の手術を受けた。
今回はドレーン入らず、痛みもまぁまぁで、順調に回復し、2週間足らずで退院できました。
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カミングアウト

再発が疑われて、特に気がかりだったのは家族にどう話すかだった。
家族といっても、結婚してないし、子供もいないので、両親に。

家族関係は複雑ではないけれど、両親はあまり仲良くなく、兄はちょっとだけ問題児?だったので、母は色んな面で苦労してきた。
そして、母はうちが産まれる前に病気で姉を亡くしている。
だから母にどう話すかが頭を悩ます。

母とは休みの日に一緒に出かけたりと仲良し親子だけど、なんでも話せる仲ではなく、今回のことも含めて大事な話はなかなか話せない。

3年前の手術の際に良性腫瘍と説明を受けてるし、まさかその病気がどうにかなるなんて、全く頭になかっただろうし…。

徐々に周りの友達や当時の彼にはその事実を伝えていったけど、やっぱり母と面と向かうと言葉にならず…。

そして、こんな時、一人暮らしでよかったぁと思う。だって、元気がなくても、食欲なくても気にされずにすむから。干渉されるのも苦手だし。
やっぱりあんまり心配はかけたくないしね。

だけど、言わないわけにはいかないので、もともとは彼と行くはずだった旅行を母と行くことに変更した。
彼には申し訳なかったけど、こんな気持ちじゃ旅行も楽しめないし、親孝行しないといけないし。
手術で生死にかかわるわけじゃないけど、もしかしたら、親より先にってことはあるかも知れないって気持ちを持ったのも確か。

で、母を誘ってみると、喜んでのってきた。ちょっと後ろめたさを感じないこともなかったけど…。

湯布院、黒川温泉に2泊3日。
旅行中に言おうと決めてたけど、前日実家に帰った時に、なんでだったか忘れたけど、たぶんそのようなことを聞かれて、カミングアウトした。
「えー、なんでぇ」と、相当ショックを受けていた。そらそうだよね…。
「また出てきたもん、しょうがないやん」と言ってみる。極力悲しい顔はみせずに。
色んな思いが錯綜するけど、この頃にはそういう気持ちも持てるようになってたし、どんなに悲しんでも、考えても「なるようにしかならない」って。開き直りでもあり、前向き?でもある言葉。
カミングアウトできたから、ちょっとすっきり。
温泉旅もそれなりに楽しめた。

大切な人にどう話すのかって難しい。一緒に悲しみをわかちあったらよいのか、気丈にふるまうことがよいのか。
自身にとっても、相手にとっても、どうしたら衝撃が少なく、かつ現実を受け止めていけるのか。
これは今も進行形の課題。

再発が疑われて

思いもよらなかった再発の疑いが浮上して、かなりの衝撃と凹みが…。

CTでは切除部近傍に増大傾向の腫瘤と。
あとどれだけ生きられるのかという漠然とした不安にこの事実をどう受け止めたらよいのかと。

記憶によれば、検査を受けたのは準夜前。その日の準夜は患者さんの急変や緊急処置があってバタバタ。ようやく仕事が終わった後に確認して、その事実。夜中の3時頃だったかな。

一人で抱えるには大きすぎて押し潰されそうだった。帰っても寝れない長い夜。
誰かに言えたら少しは楽になれたはず、だけど、しばらくは言えなかったなぁ。もともと人の話を聞くのは好きだけど、自分の話をするのは苦手。そして、弱い自分を見せるのはさらに苦手。

だから、必然的に言わなきゃいけない外来主治医と元病棟主治医、それから師長さんに思いを出すことで、心の整理をしてたんだろうなと。

外来主治医とは前回の手術以降はご無沙汰だったけど、たくさんの思いを汲みとってもらいました。その後のMRIやPETの検査の結果は受けたその日のうちに必ず電話をしてくれました。
そして、元病棟主治医は東京だったけど、メールをした日のうちに電話をかけてきてくれて、めっちゃ救われた。4月からはまたこっちに帰ってくることもわかり、かなり心強かった。
師長さんは前回入院のことを知らなかったので、まずはそこから説明が必要だったけど、病棟のみんなに言えない気持ちも理解してくれ、いつも温かく見守ってくれてました。

そんななかで一番気を付けてたことはやっぱり仕事のこと。
食欲なかったり、眠れなかったりもしたけど、どんなに落ち込んでも、仕事はちゃんとこなさいといけない。人の命を守る仕事。ミスは許されないし、注意散漫になりやすいことを自覚して、とにかく毎日必死にこなしていたなぁ。
そして、そんな仕事に救われてたのかもしれない。みんなに悟られないようにとはじめは作り笑顔だったり、患者さんの前ではいつもの自分を演じたり、意識的にしてたけど、いつしかちゃんとそれがふつーになり、元の自分を取り戻していった気がする。

やつとの再会(再発)

膵尾部切除術をして、無事仕事にも復帰
しばらくは定期的に画像フォローが必要となったけど、以前と変わらない毎日が戻ってきた。薬もないし、仕事や運動、食事やお酒も制限されることなし

6ヶ月~1年での画像検査、もちろん、検査を受ける前にはそれなりに不安になるけれど、問題なくクリアでき、2年が過ぎました。

何かあれば、いつでも相談できる環境にあることや画像フォローということで、早い段階で外来にも通わなくなり、病棟主治医をしてくれた先生も東京に異動されていた。そして自身も消化器外科から消化器内科へと異動(色んな科があるなかで、なぜにまた消化器内科だったのか…と)していた。

再発の不安が全くなかったわけじゃないけど、だけど、またやつが現れるなんて現実には考えてなかった

そして、画像のフォローをいつまで続けようかと迷いながら、とりあえず3年の節目にもう1回と思って受けた検査にやつはまたうつってきたのです
それが、2010年2月のことだった。

自宅療養①

2006年12月8日に手術を受けて、12月22日無事退院!
そして、しばらくの間、自宅療養することに。
退院してすぐは体力低下を実感。何をするにもエネルギーがいる。
ごはん食べるのも、お風呂に入るのも、その他・・・
ほんとに疲れるぅ
ふつーに生活することがこんなに大変だなんて…
お正月をはさんだので、けっこう長い間休ませていただいた。
働いてからはお正月は仕事してることがほとんど。
これもまたどうすごしてよいものか…
そして、何もしない生活はけっこう苦痛。やっぱり人間はちゃんと働いて、社会と交流もたないといけないんだって感じた。
で、自宅療養中は、予定通り復帰できるように、毎日、母と散歩をすることが日課になった。これといって話すこともないけど、普段は一人暮らしをしてるので、一緒に過ごすいい時間になったのかも知れません。
ほぼ毎日付き合ってくれた母にも感謝です

病理結果① やつだったと判明

2006年12月6日、膵尾部切除をして、12月22日無事退院。
そして、年を越して1月10日に外来受診。

そこで、その時とった組織の結果(病理結果)の説明を受けました。

だけど、あんまり覚えてないんだなぁ。

確かにその時の結果で、膵内分泌腫瘍(NET)と診断されてる。
術前に良性のSPN疑いと言われて、無事手術が終わったことに安心して、診断名が違うこと気にもとめてなかった。
SPNもNETもよくわからん病気。きっとイコールくらいの捉え方で良性腫瘍というくくりにしてた(NETは悪性腫瘍)。
ナースをしてても、病理結果を気にすることがなかったというのもあるかも知れない。
MBIは4.2%
もちろんこれが意味するところもあの時は全く理解してなかった。ちょっと高いらしいってことくらい。
確かにあの時にはNETの病期分類もまだ確立してなかったんだよね。
今になって病理結果ってすごい大切なんやと知ることに。

ただ、良性でも稀に転移をする可能性があるという心配は心の片隅にはあった。
そして断端ポジティブってのが気になってたことは覚えてる。
断端ポジティブは切ったはしっこに腫瘍が残ってるという認識。
それがガン細胞なら大変やけど…と程度やったかな。
万が一、再発するかもしれない、けど、まぁ、大丈夫やろって感じやったぁ。
あの頃は。きっと…。

2006年12月8日 膵尾部切除術

病気がわかってからMRIなどの検査が追加され、術前の診断ではSPN疑いとのこと。
SPNといわれても、消化器外科で働いてても聞いたことなかったぁ。
SPNは若い女性に多い良性の腫瘍と。だけど、大きさを考えると手術をしたほうがよいだろうと

まさかこんなに若くで手術をするなんて思ってもみなかった。しかも膵臓の手術なんて・・
もちろん、消化器外科で働いてるから、ある程度の知識はあって、膵臓の手術がやっかいなことも認識すみ。
ただできた場所が膵臓のはしっこの尾部だったことは幸いだった。
できる場所によって術式は大きく変わる。これが頭部なら、消化器外科の中でも大きな手術になり、合併症も起こりやすく、回復するまでにもかなりの時間を要する。何より実際の患者さんをみてても、どの患者さんも術後はかなりしんどそう
自分が受けるなんて、とうてい、ムリムリ、ムリムリって感じだったから。

それでも手術はかなりの大イベント
良性といえど、膵尾部といえど、全身麻酔で開腹手術。多くの患者さんの手術後をみてきても、こと自分のことになるとひるむ、ひるむ

先生もナースももちろん知り合いばかり。心強くあるけれど、あんまりかっこ悪いところみせられないしとか、色々考える…。
でも、主治医はお願いして選ばせてもらいました!
一緒に働くなかで、患者さん思いの尊敬できる先生を。
先生はかなりやりにくかったはず。だって、昨日まで一緒に働いてたナース、しかも同年代の。
断れなくて、ごめんなさいって

看護師は術後は肺炎にならないように、イレウスにならないように、床づれができないようにと、痛がる患者さんに「歩け、歩け」とすすめるのも仕事。
手術後はナースステーションから一番近い部屋に入ることが多く、翌日にはそこで体を拭いて、パジャマに着替えて、歩いて部屋に帰るってのが、ふつーの手術の一般的な流れ。もちろん、出血量やら手術侵襲にもよるけれど。

手術は順調にすみ、予定していた時間よりも早くに終了。
だけど、術直後からちょっとお腹を触れるだけで痛い!痛い!横に向くなんてムリムリみたいな。
そして、翌日に歩けたのはちょっとだけ。
経験から若い患者さんより、年取った患者さんのほうが、痛みに強く、気分不快もなく、スタスタと歩けることを感じてたけど、ほんとにそうだった。
全然ダメでしたぁ

自分が患者になって、患者さんの気持ちや頑張りを肌で感じることになって、愛のむちだけでなく優しい言葉も大切だなっとつくづく感じる経験でした

膵臓切除には恐れられてる合併症=膵液漏がある。その名の通り、膵液がお腹の中に漏れること。なにがこわいかって、膵液はアルカリ性、血管を溶かして大出血の危険性がある。そして膵液漏はすぐにはよくならず、食事をすると、膵液は分泌されるため、絶食期間も長くなる。
膵液漏がないかは、お腹から体の外にでている管(ドレーン)からの排液を検査にだしてアミラーゼ値が高くないかとか、色合いとかで調べます。
翌日、自分のドレーンをみるとワインレッド色。これってもしや、膵液漏??、アミラーゼ値も3万以上と高い!!
やばい、やばいと思ってたのは患者本人だけでなく、のちに聞くと先生もだったそうで。
幸い一時的なもので、多少の絶食期間の延長のみでその後は順調に回復し、無事退院迎えることができました
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あかしまもよう

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