ダークグレー

先週MRIの再検を受け、そのまま週末はフォーラムに参加。今日外来受診した。

MRIの読影結果はすでに先週中にこっそり確認し、主治医ととある先生にも見てもらい、怪しいやつは、8月と比べて大きくなってないし、増えてるわけではないと聞いていた。
だから、自分の中では、気持ち的にはセーフで、勝手に3ヶ月後にフォローかなっと思ってた。

で、受診して、
確かに結果は3ヶ月後に再検となった。
だけど、他の外科の先生に診てもらった結果、すでに内科の先生にも相談し、前回切除した病変のmーTORの免疫染色を追加検査することになった。

けっこう、ショック!!!
3ヶ月後フォローの結果は変わらないのにニュアンスだけでこんなに凹み具合が違う…。
主治医は大きくなったら、切除を第一に考えてるとは言ってくれた。
だけど、そろそろ、内科的治療も視野に入れて考えたほうがよいって言われてるみたいで…。実際そうなんだろうけど…。

しかも内科ってぇ、今働いてる病棟で関わりも深いし…。病棟では一看護師であり、今は内科の先生たちにはあんまり詮索されたくないってのが正直な気持ち。複雑すぎる…。

前回の手術の時には「次にできても、取りに行く」って言ってくれて、その言葉にどこか安心した。まだまだ手術で勝算はあるって気持ちに勇気づけられてた。だから、「心配しんでもいい、取りに行く!」って言ってほしかったなぁ…と。


肝転移して1年で再発(正確にいえば半年)、厳しい現実を理解してないわけでもない。だけど、この1年はめっちゃ意義のあった1年だったと思える。こんな日が来てしまうこと、怯えながらも覚悟してきたから、今できること、思ったことは先伸ばしにせずにちゃんとやってきた。
仕事面では3交代もこなせたし、気持ちの揺れはあっても、受け持ちとして、ターミナル患者さんとも深く関わり、向き合ってきたつもり。
プライベートではしまうま仲間との縁にもめぐまれたし、旅行もけっこう行った。山にも登ったし、ダイビングもマラソンも楽しんだ。
手術して、半年でも1年でもまたその時間が手にいれられるなら、それでいいと思うし、全然手術頑張れるって思う。

肝転移後の5年生存率は50%くらい。肝転移して、今までの経過から自分の寿命は漠然とあと5年くらいが妥当なとこかなと勝手に思ってた。
その5年どう過ごすか、人によって生き方は様々だけど、QOLを重視して治療選択をしたい。
今は現生活の維持がやっぱり希望。分子標的薬やケモの導入はリスクが大きすぎる。うまく副作用と付き合ってかないといけないし、今の3交代の勤務もこなせる自信がない。旅行も山登りもダイビングもマラソンもどうなるかわからない。
できないことを目の当たりにしていくことは、今以上のショックを受けると思うし、自分の生きてる意味を見失ってしまいそう。
もちろん、病状が進み、体がしんどくなるなかで、あきらめなくてはいけないことや受け止めなくてはいけないこともでてくると思う。
そして内科的治療を受け入れる時がやってくると思う。

だから、今は今の自分の気持ちや意思を大切にし、治療方針を妥協せずに相談していきたい。
とある先生は、「とことん取るのが定石、まえに取った個数より多くなってないんだから。世の中どこかの外科が取れると言う以上オペだけど、オペが無理なら、TACEはしなくていいけど、RFAは相対適応がある。局所治療を諦めないことが大事で、ケモはアジュバンドとして考えるかどうか」と意見をくれた。
主治医も知り合いを介して、NETを専門にしている先生に相談してくれている。そしてうちも、も一度、関西電力病院の受診を決めた。


一方でこんなにいっぱい気持ちは揺れ動いてるけど、実際は8月の結果と大きさも個数も変わってない今、ほんとにこんなに悩まされなくてはいけないものか!!!とも思う。やつかどうかわからないくらいのかすみたいなやつに!むしろ変わってないことはラッキーって開き直るくらいの気持ちじゃなければとも思う。

検査を受けるたびに、やつはグレーからダークグレーへ、そして限りなく黒に近づいてるのかもしれない。だけど、とりあえず、またまた3ヶ月の猶予はゲットしたのだから、前にも後ろにも向きながら、今できることをやってくしかない!
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緩和ケア病棟

うちの病院にも新たに緩和ケア病棟が新設され、20日にオープン。
構想は何年も前からあって、ようやく実現された。
全16床ですべて個室。半数は無料の個室ということで患者にとってはありがたい。
緩和ケア病棟やホスピスへの転院となっても、無料の個室は少ないことも多く、待機が長くなってしまうことがある。そう思うと良心的だと思う。

手術や薬物療法など、治療の継続は経済的負担も大きい。NETは他の悪性腫瘍よりも進行は緩やかと言われてるし、治療年数が長い人や若くして発症する人もいる。
働きながら病気とうまく付き合っていくことも課題だし、どのようにお金を使い、残していくかも大切な問題だと思う。


新設にあたって、医師はペインクリニックの先生が中心となり、看護師は各病棟から人選された。
消化器病棟ではターミナル患者さんも多いため、うちからも異動があった。
異動前には何度か「どお?」と希望を聞かれたことがあった。どの程度、師長さんが本気だったかわからないけど、行きたいとは言えなかった。
もともと院内での緩和ケアのエキスパートコースや緩和ケア学会に参加したりと興味がないわけではなかった。
整えられた環境の中で、患者さんやご家族さんのケアができること、一から病棟の基盤をつくっていくことはやりがいがあると思う。
だけど、どこかにいつかお世話になる病棟かも知れないという思いがあった。

言えなかったくせに、いざいよいよ開設となると、ほんのちょっとだけ、希望してたらどうなってただろうと考える。
この先どうなるかわからないし、今後どのような治療を選択するかもわからない。いつかがどれくらい先なのかも。
だから、いっそうのこと、自ら働いて、自分の目でそこがどんな病棟なのか確かめるくらいの勢いでぶつかっていけたらよかったのかなと。

いやいや、出来なかったから言えること。ないものねだりですよね。
実際、ターミナルケアは身体的な苦痛緩和はもちろん、心と心のつながりが大切。患者さんやご家族さんへの思い入れも強くなるし、受け持つ看護師の中にも「こうしたほうがよかったんじゃないか」とか色んなジレンマや葛藤が生じる。時には受け持つ看護師が疲れてしまうこともある。それだけ人の命は尊い。

今でもターミナル患者さんや同じ疾患の患者さんを受け持つと、自分と重ね合わせてしまうのに、果たしてほんとにちゃんとやってけるのかも疑問。病気はゆっくりであったとしても進行していくだろうし、気持ちの揺れもその時々で変わっていく。
今はまだ患者さんやご家族さんに自分の病気のことを話したことはない。ただ何度か話そうかなと迷ったことがある。
看護師の自分はプロとして患者さんと接しないといけないと思う半面、看護師である前に人であり、人と人としての付き合いなら自分の思う通りに行動してもいいのかなと思ったり…。難しい。

ちょっと話はずれたけど、結局、
~たら、もし~はない。うちはうちで、今ある場所でできることをやるしかない。どこであっても、自分の気持ち次第だと思う。エキスパートではなくジェネラリストを目指して、時には熱く、時には手抜きしながら頑張り過ぎずにボチボチやっていけたら、まっいっか。

新たな1年

2014年始まりました!

今年も年越しは病院で。
元旦に朝起きて仕事に向かうのは億劫だし、箱根駅伝も見たいから、毎年、夜勤希望をすることが多い。

病院で年越しソバ(カップ麺)食べて、下鴨神社へ初詣。

昨年となんら変わりない。けど、同じように迎えられてホッする。

昨年は肝転移を経験して、自分の限りある命について考えさせられた。答えのでないことに悩み、心を奪われ…。毎日もがきながら、前みるのに必死だったと振り返る。

そんな中、ブログや患者会を通して、しまうま仲間の存在を知った。病状や治療は様々だけど、相通ずるものがあり、励みになる存在。
そんな出会いがあって、このブログもはじめてみた。
自分を表出できる場として、また、同じ病気を持つ誰かが目にして、少しでも共感できたり、励みになれる場であったらいいなぁと。
患者会に足を運ぶのに躊躇はあったけど、その一歩があらたな縁へとつながった年。

昨年を振り返ると色々あったけど、仕事復帰後は3交代勤務をこなし、横浜や北海道、沖縄などちょっと遠出の旅行も行ったし、マラソンにも挑戦できたし、まぁ良しな1年とするかっ。


今年はどんな1年になるのか、全く想像できず、ドキドキ。
どう転ぶかもやっぱりやつ次第かな…。

もちろん、高い希望は再発せずにこの1年を過ごせること!
現生活の維持が目標。
昔みたいに今年こそ良縁にめぐり会えますようにとか、結婚できますようにとかなくなってちょっとさみしいな~。
現実的すぎる。

すでにグレーゾーンのMRIの再検は今月にあるし、右肩や尾てい骨の痛みもずっと続いていて、骨転移も心配。
それに正月から風邪をひき、ダウンぎみで、
そんな現実的な目標ですら、そうそうに打ち砕かれるんじゃないかという不安もあり…。

どう進むであろうとも、やつに身体も心も奪われすぎずにいたいもの。
身体も心も自分でコントロールできるくらいの暴れかたでおさまっていてほしいもの。

やつよ、今年もお手柔らかによろしくな!

夏休み:はいさ~ 阿嘉島

夏休み!(今は冬ですが…)

今年(年が明けてしまったので去年)は絶対に行くと決めてたとこ。
慶良間諸島のひとつ阿嘉島。

もともと小さい頃から海が大好き( ☆∀☆)

ダイビングのライセンスをとって、国内外で、色んな海を潜った。
海を見てるだけでも癒される。

はじめて阿嘉島を訪れたのは10年くらい前。病気より長い歴史あり!
小さい島だけど、とってもあったかい島。
大好きになり、それから何度となく(10回くらい?)訪れた。
先輩や友達、彼氏と、そして時には一人でも訪れた。
失恋して傷心の時も…。
膵手術後のはじめての旅行も。
珊瑚の産卵みたのも。
いつ、誰ときても、癒される島。

那覇から船で阿嘉島にむかうと、慶留間島とを結ぶ阿嘉大橋が見えてくる。いつも阿嘉大橋を見て、
「おー、きたぁっっ~!!」とテンションあがる!

で、帰るときには島のたくさんの人達が港からお見送りをしてくれて、ダイビング船が追っかけてきてくれる。「絶対、また来よう!」って思う島。

再再発して、いつまで、自由に旅行ができるかわからない。ダイビングだって、もうできなくなるかもしんない。

やりたいことは貪欲に、思い立ったらその時する!が学んだこと。
だから、絶対来ると決めていた。

傷心?を癒すにはやっぱり一人旅。
小心者?のうちが一人旅できるのもこの島くらい。
といっても、向こうに行ったら、ショップの人も宿の人も顔見知りで安心。

そんなんで、初Peachに乗って、Let's go!


高速船で阿嘉島上陸。
やっとこれたぁ~、帰ってきたぁ~と第2の故郷な感じ。


だいだいいつも、夕方に阿嘉島に着いて、翌日からダイビング(2or3日)して、最終日は朝に帰るパターン。
夜はショップでみんなでワイワイと過ごすので、意外にゆっくりのんびり過ごす時間なく、あっという間。

今回もいつもと変わらず、ダイビングして、海の碧さに癒される。




ダイビング終わってから夕食までは慶留間島の展望台に行ったり、ニシハマビーチに行ったりと島内散策。天然記念物の慶良間シカにも遭遇。






めいっぱい遊んだ。大好きな海にたくさん癒されて、パワーをもらった。

手術が終わってから、いやいや、肝転移が分かってから、病気のことを考えない日は一日もない。
通勤の電車で、お風呂や寝る前には必ず…。
考えてもどうにもならないのわかってるのに…。
そして、そんな思いを人には出せずに苦しんでる。弱音吐けずに大丈夫なふりして過ごしてる自分に時には疲れることも。

だけど、阿嘉島きて、そんな気持ちを少しは減らせたかな~。常にもがいてた心も、海みてたら楽になれた。

4日間、あっという間。帰りは台風の影響をうけ、高速船はストップ。
運よく?チャーター便のヘリで那覇空港まで帰ることに。
なので、今回は港からのお見送りはなくて残念。
だけど、飛んでくるヘリにテンション上がり、ヘリから見る景色も最高でした。



また絶対行くからね!!
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