オペ室の看護師さん

オペ室の看護師さんと関わる時間ってすごく限られている。
手術室に入ってから麻酔がかかるまでの時間と麻酔から覚めて手術室を出るまでの時間。麻酔から覚めた後の看護師さんとの関わりはほとんど、いや全く覚えてないのがふつう。だから、麻酔のかかるせいぜい30分~1時間くらい。

オペ室の看護師さんは手術前日までに挨拶と麻酔がかかるまでの説明にきてくれる。
手術当日緊張した中、少しでも顔見知りのほうが安心できるし、手術前の訪問はとっても大切な仕事だと思う。

うちは働いてる特権でというか、仲のいい先輩がオペ室で働いていたから、前もってその先輩の知り合いに声をかけてくれて、4回の手術のうち3回はその看護師さんについてもらった。
手術前の訪問は夜勤中だったから、も一人の看護師さんが来てくれたけど、当日は遅番を代わってもらってついてくれたそう。ほんとに感謝。

手術室で待っててくれて、優しく声をかけてくれる。安心してすでに涙がでそうだったけど、硬膜外チューブの挿入に失敗されたタイミングで涙が…。
いやいや、痛くて泣いたんじゃないよ。確かに痛かったけど、手術前は気を張りすぎてずっと泣けなかったから、ようやく手術となって、涙がでてきた感じ。そっと拭いてくれて、ちょっと恥ずかしかった。顔見知りだけど、普段から仲いいってわけじゃなく、ちょうど都合がよかったんだと思う。強がりだからね、仲良すぎても泣けないんだ。

で、その後のことは全く覚えてない。長い手術の間もたくさんのサポートしてもらってたんだろうなぁ。

そして、いつも退院までに病室にのぞきに来てくれる。色んな思いもあるけどよく頑張ってる、うちの笑顔に力もらってるって言ってくれて、またまたうるって。

ほんとにありがとうです。






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退院して1ヶ月

退院して1ヶ月が過ぎて、ようやく体調も落ち着いてきた感じ^_^

手術もしんどかったし、自宅療養中の精神面の不安定も辛かった。
早めに仕事復帰してみたものの、正直これまた、体力の低下は著しいし、傷のひきつれ感やらつっぱり感、少し動いたり、しゃべったりするだけで息のしにくさや動悸と、なかなか思うように身体は動かなかった。
体調がよい日と悪い日がはっきりしすぎて、それもその日動いてみないとわからないから困ったもんで…。
2~3日に一度は調子が悪い日がやってくる。

しばらくはごはんを食べることも苦痛だった。お腹は減らないし、何にも食べたいと思うものがない。見るのも嫌、スーパーにも行きたくないみたいな。
3食は必ず食べるように意識してたけど、大好きなフルーツもどこにも入る余地なし。ひたすらトマトと豆腐とモズクばっかり食べて、つわりを経験したことないけど、想像妊娠?って、妊娠なら頑張れるのになぁと思ってた。
そして食べたらすぐには動けない。眠気も襲ってくるし、息切れするし。
ごはん→お風呂はかなりキツイ。朝も今までより1時間早く起きて、少し休んでから仕事に行くようにしてた。

仕事の日はもちろん直帰、ごはんは母が働いてる配食弁当、21時には意識を失う感じで全く余裕なかった。
仕事は随分加減してもらって、休みも夏休みを消化しながら週休3日くらいで働いてたんだけどね。

先週くらいまではほんとそんな感じで『大丈夫かな』と心配してたけど、退院してちょうど1ヶ月経って、めっちゃ調子が悪いと感じることがなくなった。ごはんもだいぶ食べれるようになったし、フルーツもお菓子も食べられる。夜も起きてる時間延びたし。ってか、今度はなかなか寝れないし。
徐々にというより、突然、急にって感じかな。
やっぱり時間の経過?
そして、それを実感できて安心したし、嬉しい。

で、ちょっと元気になると、それまでは影をひそめて働いてたのに、あれこれ気になり注意?や意見をいって、小姑のようにお節介な自分も発揮する。
ようやく仕事後に外食もできた。

はい、ちょっと調子に乗ってます。
そして、今度は『どっか、行きたーい!夏休みほしーい!!』って、さらに調子に乗りそうです。
そう思えるようになったのも回復の兆し!とよいように捉えとこっ。

来月からは少ないながらも夜勤もするし、そろそろちゃんと自炊もしないとね。それこなしたら、9月か10月にはちょっとくらいは旅行に行きたいな。

よくなったといえど、7割くらいの回復?
まだまだ暑い夏、調子に乗りすぎないようにしないとね。

術直後~術後1日目

ちょっと振り返って、手術直後のこと書いてみる。

とりあえず、一言。しんどかった、しんどすぎた。撃沈( ̄◇ ̄;)

ぼんやり曖昧なことも多いのに、はっきりその思いだけは覚えてる。

手術を決断したのは自分。だから弱音は吐かないと決めていた。だけど予想以上にしんどくて、やっぱり手術はそろそろ限界なのかなっと思った。頑張るって決めてたのに頑張れない自分に悲しくて、夜中~朝はスーパーマリオのゲームオーバーがずっと頭に浮かんでた。

まずは目覚めた時から嘔気が…。たぶん硬麻に使ってる医療用麻薬(フェンタニル)の影響。制吐剤も使用するけど効果なし。朝までずっとムカムカと。一旦硬麻を止めてみるけど、今度は痛みがでてきて再開。(フェンタニルは前回もそうだったけど、半日から1日経つと耐性ができて嘔気もおさまってくる。)

そして何より今回は息ができない。いつもは酸素は口渇が強くて、勝手に外したりしてたけど、外したらさらに息ができない。特に右側は吸いたいのに入ってかない感じ。傷の影響?うとうととしても、息のしにくさで目覚めるの繰り返し…。酸素の値(SpO2)は正常なのに呼吸困難感がずっと続いてた。

そのうち今度は悪寒がやってきて発熱。で、解熱剤使用して熱感に。自由に動けない時の寒い、暑いはかなり堪える。掛け物の調節も自分でできないし(>_<)

そんなたくさんの症状も重なって体全体が重い、だるさが半端ない。
顔はパンパンに浮腫んで、くっきり二重。

自分じゃどうにもならない体、一番堪えたな。

なんでこんなにしんどいの?なんか起こってる?と頭の中でぐるぐる。
発熱は術中のRFAの影響と思ってたけど、この半端ないだるさももしやRFAによって、肝臓の数値が跳ね上がってるから?と勝手に色々考える。


それでもちゃんと朝はやってきた!

仕事の前にみんながよってくれて、ほんとは着替えと歯磨きお願いしてた。
いつもレントゲンの前にシャツだけ着たいと希望してて、消外で働いてたみんながちゃちゃちゃって体拭いて、着替えさせてくれてたんだけど、今回は撃沈でそんな余裕なかった。首振りのジェスチャーと一言二言を話すのがやっと…。着替えなんてとんでもなかった。レントゲン、知り合いであろうがこんだけしんどかったら諦めもつく。
主治医にもひたすら目でしんどいと訴え続けたよ。

午前中から休みの先輩が一日中付き添ってくれてたけど、夜中と一緒で話す余裕もなく、うとうとしては息苦しさで目覚めるの繰り返し。それでも何にも言わずにずーとそばにいてくれた。話せない病人のそばにいるの苦痛だっただろうな。
時折、うがいや氷を食べるのを介助してくれて、担当看護師(仲良い先輩)と一緒に体拭いて、着替えさせてもらった。

ようやく午後からはちょっとマシになって、少し生きてる感じを取り戻した。
勝手にミノフィット(肝庇護剤)の効果?なんて思ってみたり…。だって打ってしばらくしたら楽になったんだもん!

少しだけ歩いて、体重測定。3kgプラス。そら目もパンパンだわ。サードスペースから水が体に戻ってきて尿としてでるにはもう少しかかりそう…。

心配してた血液検査は許容範囲内。むしろ前回に比べたら、よい感じ。肝臓の数値は上がってる(3桁のちょうど半分くらい)けど、前回と同じ程度。正常な肝臓ほど数値はあがりやすいらしい。貧血も出血は今回は500ml(前回は1000ml)で、術前にとった自己血も戻したし、たいしたことない。

そう、経過は順調だったんです。
こんなにしんどくても…。


そして、手術から時間が経つにつれ、記憶はどんどん曖昧になってく。しんどかった思いは残ってるのに、どうしんどかったのかは薄らいでく。
人間ってすごいよね。
こうしてまた頑張れるんだろうか…。

よく出産の痛みは今まで経験したことない痛みで半端ないって言われるけど、みんなまた出産してるもんね。
もちろん、出産は新たな命の誕生だから、比べるのは変だけど。

でも、痛みやしんどさはきっと時間が経てば記憶から薄らいでくんだろうな。楽しいこととすり変わって!
そのためにも、今を楽しまなきゃいけないんだ、きっと。






七夕

昨日は七夕。若い時にはあんまり季節とか行事とか気にせず生きてきたけど、年を重ねるとやっぱり風情を感じるな。

週末は2連休をもらってたので、疲れが翌日に残らないようにと、5日に先輩に誘われて七夕笹飾りをしてる貴船神社に行ってきた。

たくさんのご縁があってびっくり!!な1日だった。

まずは出町柳で待ち合わせしたんだけど、そこで、7年前に入院されていた患者さんの娘さんの旦那さんに出会った。患者さんはお父様で、ほんとに濃厚な闘病生活を送られていた。
娘さんはとても熱心で、医療者も何度もカンファレンスしてチームでできることを考えて取り組んでた症例だった。出会った旦那さんはその時は旦那さんじゃなくて、病院ではじめてお父様に紹介されていた。旦那さんはドイツ人で、もひとりの娘さんもアメリカ人と結婚してアメリカに住んでおられるから、少し複雑そうだったけど、嬉しそうにされてたことが思い出された。
それから2回ほど、その時働いていたメンバーでランチをしたことあったけど、その場で出会うこともすごいし、外人さん、ちゃんとお互いわかったのもすごい!って。ほんとに会えてよかったなぁ。あの頃一番仕事も頑張ってたよなってなつかしかった。

で、それから鴨川でパンを食べることにしたけど、食べ始めて一瞬でトンビに手に持ってたの全部持ってかれた。トンビめっ!、早々退散して貴船に向かうことに。

貴船神社に着いたら、大久保佳代子といとうあさこが取材にきてて、わぁ~って。そのままやん!って。

貴船は緑に囲まれて、この季節は川床が有名。ひんやりしてて、流れる川の音も心地よい。
神社では七夕の笹にたくさんの短冊が飾られてて、どんな願いも叶えてくれそうな気持ちになって、
うちらも短冊に願い事を書いて、暑い夏を健康で乗りきれるという、ちのわを買った。ちのわは秋分の日まで玄関の左側に飾っておくそう。

その後、もう少し奥まで進んで、奥宮では鹿にも出会ったぁ。

行きは上りだから、神社までバスに乗ったけど、帰りは下りだし、リハビリにゆっくり歩いて貴船駅まで戻った。

で、またまた出町柳駅ではミラクルが。今はうちの病院を離れ、和歌山で働いている元祖主治医に。元祖主治医は2回目の手術までの主治医だけど、3回目の手術の時も今回の手術の時も必ずお見舞いにきてくれる素敵すぎる先生。だから2週間前には病院にきてくれてた。退院して仕事復帰して、ちょっと元気になった姿が見せれてよかったなぁ。先生は飲みに行くとこって言ってたけど、先週も先々週もそう言ってたよぉ。肝臓専門やんっ、飲みすぎには注意してねっ!今でも心の中では主治医だからね。

夜は先輩2人も加わって、たこ焼きparty。消化器外科で一緒に働いたときからの仲間。やっぱり消化器外科は濃厚過ぎたぁ。毎日忙しすぎたけど、絆はその分深まったんだよね~、きっと。

かなりミラクルで濃厚な1日。疲れたけど、好きなことしてるって心地よい疲れ。たくさん元気をもらった1日でした。

ちなみに翌日はけっこうな雨。七夕前日に降る雨は洗車雨(せんしゃう)と言って、牽牛が織女を迎えに行く牛車を洗うという意味があるそう。七夕の夜に降る雨は酒涙雨(さいるいう)と言って、牽牛と織女が逢瀬の後に流す惜別の涙が雨になったとも、逢瀬が叶わなかった悲しみに流す涙の雨だともいわれてるそう。
素敵な話(^^)

貴船神社の七夕笹飾りは8/15までライトアップもしているみたいです。


入院環境

ちょっと遡って、入院してた環境について書いてみる。
自分の気持ちが入ってしまうブログは少なからず向き合わないといけないから息抜きに…。

入院する病院は自分の働いてる病院。消化器外科は2病棟あるけど、1つは、今働いてる病棟と同じ階だから、必然的にもひとつの病棟へ。7年前に病気がわかった時に働いてた病棟。
一緒に働いてた看護師さんはもうほんの何人かしか残ってないけど、それでも全く知らないよりは安心できる。そこのボスも福ボスもそこで知り合い、一緒に働いてたし、福ボスは旅行に行ったりする仲のよい先輩。

で、いつも個室に入院してる。職員であるのと、もともと他に人がいると気になって絶対眠れないタイプだし。



ここは1日¥5000のお部屋(昔は¥3000でめっちゃ良心的だったのに、何年か前に値上がりしたぁ)。

個室なんで、何かと荷物が増えがち。~だったらとか考えるとパジャマや下着、タオルなどもちょっと多めになってしまう。



ベッドの柵にはティッシュをかけて、S字フックに小さいカバンとタオルかけてた。
特に動けない術後は便利。カバンな中は汗ふきシートとかウェットティッシュ、携帯とかリップ、鏡、眼鏡、貴重品の鍵とかいれてた。あっ、テレビのリモコンも。ベッドで動けず、じたばたした時に手の届く範囲に最小限あるのは安心。

部屋には洗面台だけあるので、ここには歯磨きセットとコンタクト用品、ハンドウォッシュ、洗顔料に台所洗剤も詰め替えて置いてた。何かと便利だったのはキッチンペーパー。手も食器も飛び散った水もふける。

収納は100均とかに売ってるBOX買って、お風呂用品、食器、下着類、化粧品などわけて収納してた。

ごはんのお供はたくさん買ったけど、あんまり食べれなくて活躍しきれず。水やお茶は2Lのペットボトルも使用してたので、コップもたくさんもっていってたけど全然使ってないのもあった。果物とか差し入れてもらったので小さめのプラスティックの深めのお皿をもっていってたけど、使ったのは1、2回。動けない間はやっぱりストロー付きコップが便利、術後2、3日目まではうがいするのに活躍してた。

ロッカーの上段にはパジャマ、部屋着に外出着、下着とか、下段はバスタオル、タオルにお風呂や洗濯用品、ファブリーズとか置いてた。ファブリーズはトイレとか汗とかで臭くなったら嫌だから念のため…。そんなに使うことはなかった。









仕事復帰

7/1無事仕事復帰。
バンザーイ\(^o^)/

退院後、1週間での復帰ははじめて。体力的には食事もあんまり食べれてなかったから、自信があったわけじゃないけど、とりあえずやってみることに。
これ以上の自宅療養も気持ち的に限界だった。
どうしても時間がないとどこかで焦りもあるし、早く元の生活にもどさなければスタートラインにたてない感覚に捕らわれてたから。

仕事にいけばやらなきゃとスイッチもきりかえられるし、今までも何とかなってきたから大丈夫って思いもあった。

それに病欠期間が30日を越えれば、査定や人事評価にもひっかかって、ボーナスもマイナスへ。
なんか納得いかないというか、やっぱり悔しいなと。
好きで病気になったわけじゃないのに、みんなと同じだけ働く能力があって、新人教育や指導などどんなに頑張っても他の人にはかなわない、評価されないって、なんだか悲しい。
休んでるから仕方ないし、これも受け入れないといけない一つなんだろうけど、今回は頑張ればクリアできそうだったからこだわってみた。

仕事復帰に何が問題って、みんなへの告白文の作成。
退院する時、ボスの後押しもあって、病棟のみんなに病気のことを話すって決断した。
決断はしたけど、やっぱり勇気が要りすぎる!だって今まで病気のことすべて話した人なんていなかったし…。この7年半の思い、簡単に整理もできないし…。
もちろん、これから病状が厳しくなることが予測されるなか、仕事にもこだわりたいなら、乗り越えないといけない問題とわかってる。病気の自分じゃなく、看護師の自分をみてほしいし、弱い自分をみせるのには抵抗もある。休み中はけっこうこれが重荷になってた。
だけど、適当に中途半端にはしたくないというどっか生真面目な自分もいて、結局前日まで手をつけれなかった。
納得いく手紙になったかわからないけど、便箋8枚に思いを綴った。

前日6/30は半年の厄除けと新たに迎える半年の平穏を願って食べるという水無月を食べ、当日は新調したピアスをつけて仕事に向かうことにした。

近くに住む先輩が心細くないようにと電車を合わせてくれて、「行ってらっしゃい」メールもたくさんもらった。出勤したら、前日に育休中の後輩も病院に来て、ロッカーに飾りつけをしてくれていた。



みんなに支えられてるなぁって感謝するばかり(涙)

手紙はボスとも相談し、ボスより上の看護部という組織にも読んでもらうことにし、それから病棟の一人一人に読んでもらうことにした。

仕事はだいぶ考慮してもらって、すごく軽い振り分けに。
患者さんの前にでたら、普通に笑えるし、ちゃんと仕事もできる。
15年で培われた確かなものがあるんだろうなって思ってみたり。

ただやっぱり帰ったら疲労困憊。即寝だった。

手紙はきっと自分への意思表明でもある。
無理してないと心が折れそうな気がしてたけど、復帰という一歩を進むことができて、心は正直楽になった。
ずっとできなかったカミングアウトだったけど、きっと今日から始まる新しい何かがある。
7/1、1年後半のスタート。
一歩一歩前みて頑張りたい。





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